平成から令和へ(ごあいさつ)


平成の30年間もいよいよ終わり、いよいよ新時代・令和に突入します。
昭和生まれの私にとって、平成の時代は、初めて、ひとつの元号を最初から最後まで経験しました。

平成の30年間を10年ごとに3つに区切るなら、最初の10年は、ほぼ私の学生時代です。

昭和64年1月7日…昭和天皇が崩御し、その日に新元号・平成が公表されました。
私は、携帯ラジカセ(ラジオ付きウォークマンのようなものですが、ウォークマンはソニーの製品名で、私のはソニー製じゃなかったのでこう呼びます)を持っていました。
平成の元号が公表された時はちょうど休み時間で、NHKラジオでその瞬間を聴いていました。ラジオでは画像が見えないので、アナウンサーが、「平和の平に、成功の成」と説明しました。
私がすぐに黒板に、「新元号・平成」と書くと、クラスの人から「ヘイジョウ?」という声が上がったので、すぐにローマ字で「HEISEI」と書き加えました。

昭和64年1月7日から平成元年1月8日に変わる瞬間は、テレビを見ながら、ラジオも録音しました。その録音テープ、今もどこかにあるはずですが…。


学生時代。
私の一生で最も充実して楽しい日々でした。人生はまだまだ続きますが、これ以上すばらしい時間は二度と無いでしょう。
小説家を目指して作品を書き、師匠の推薦を受けて出版社に紹介していただき…それでも、そう簡単にはいかず。
小説家を目指す者、編集者を目指す者が、共に師匠のもとで高め合った活動は、私にとって最も満たされた時間となりました。

私の「デビュー」は、平成最初の10年では成し遂げられませんでしたが、次の10年の初期に達成されます。ただし、出版不況の世の中、私は作家として続けていくことができませんでした。
それでも私の作品は、私自身にとっては十分満足できる評価をいただきました。


平成の「第二の10年間」は、社会人として試行錯誤を続けた期間でした。
仕事上、最も思い出の多い時期であると同時に、最も苦しい時期も経験しました。
退職寸前にまで追い込まれたこともありました。
「第二の10年間」の後半に入ると、仕事は徐々に軌道に乗り始め…しかし、プライベートでは、父を亡くしました。


平成の「第三の10年間」、この前半期は、私が仕事上で最も活躍できた時期です。
ここには書けないような、いくつかの「武勇伝」もありました。
実績が大きすぎたため、私の発言力が上司を上回ってしまう状態も起きました。
ただそれだけ自分の判断に大きな責任があり、やり甲斐があって充実していました。
その「強すぎる状態」の反動か、「第三の10年間」の後半期は仕事に恵まれず一気に沈みました。


今、その平成の時代が終わり、令和が始まろうとしています。

令和の始まりは、平成の終わりをそのまま引き継ぎますから、現状の私は決して良い状態とは言えません。
しかし、思えば昭和の終わりと平成の始まりの瞬間も、私は決して良い状態ではありませんでした。でもそこから、人生で最も充実した学生時代を作りました。
今回もまた、新しい時代の始まりに、新しい自分を開拓していきたいと思います。

また、新しい時代は、私よりも、平成生まれの若い人たちの活躍に託されています。

昭和は長かったので、前半と後半に分けて考えるなら、平成を支えた昭和前半生まれの世代は、これから続々社会を引退していきます。
私たち、昭和後半生まれの世代が社会の地盤となっていきます。
そして、平成生まれの世代が、新しい時代を切り開く番です。

ひとりひとりの未来と、みんなの未来。
力を合わせて、いい未来を作りましょう。


平成31年4月30日 南雲
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